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切磋琢磨の本当の意味と使い方 ―本当は上司が使うべきこの言葉―

本・歴史の話のアイキャッチ

宮城谷昌光の『春秋名臣列伝』より


先日ふらっと買った本に感銘を受けたので、コラムにします。
今回紹介する本の名前は『春秋名臣列伝』で、ポピュラーな三國志だけでなく、春秋戦国時代など、幅広い中国史の歴史小説を手掛けている宮城谷昌光先生の作品です。
この本のタイトルにあるよう中国の春秋時代を取り上げており、同時代に活躍した名臣が紹介されています。

私は『史記』がすごく好きで、何度も何度も読んでいます。『史記』の同時代の春秋戦国時代の本なので、ついつい買ってしまいました。

意外と知らない「切磋琢磨」の由来

切磋琢磨の今日の意味

この『春秋名臣列伝』の中で切磋琢磨の由来が記されていました。みなさんは「切磋琢磨」という言葉をどういう時に使いますか?

現代では友人・ライバルが技術や成績を競い合い・高めあう時に「切磋琢磨」という言葉を使うのが一般的かなと思います。

コトバンクから「切磋琢磨」のページを引用しましょう

[名](スル)《「詩経」衛風・淇奥から。「琢磨」は玉・石などを打ち磨く意》学問をし、徳を修めるために、努力に努力を重ねること。また、友人どうしで励まし合い競い合って向上すること。「互いに切磋琢磨して技術改新を成し遂げる」

―切磋琢磨(セッサタクマ)とは – コトバンク

このコトバンクに書かれているイメージとだいたい変わりはないでしょう。

衛の武公を称える詩

この「切磋琢磨」はもともと春秋時代の衛の武公に送られた言葉であったようです。

武公は日夜研鑽を忘れず、周囲の家臣に対して「わしを諫めよ」といい、自分の至らぬところを反省し、改めていったようです。

史記などの歴史ものを読むと、若い時分は修練に励んでいた人でも、歳をとって権力を握るとさっぱりという人物も少なくありませんが、武公は死ぬまで周りに自分に至らないところがないか問いかけたようです。

この民衆のために自分を高め続けた武公を称える詩が中国最古の詩集と呼ばれる『詩経』に掲載されています。

匪たる君子あり

切るが如く磋るが如く

琢つが如く磨くが如し

この「切る」「磋る」「琢つ」「磨く」が結合され、「切磋琢磨」という言葉になったんですね。

「切る」「磋る」「琢つ」「磨く」はどれも「みがく」ことを意味していますが、それを4つの言葉で言い換えている所に、武公が様々な角度からの諫言を聞いて、自分を磨き上げている様子がうかがえますね。

切磋琢磨の本当の意味は、トップや上司が日々改めることだ

現在の「切磋琢磨」のイメージは、同質な者同士「1対1」の競い合いというものがあるかと思います。

しかしもともとの意味としては「1対多」の関係であり、諫言の雨あられの中で自分を鍛える様を言い、それを『詩経』の中で、「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」と歌ったのでした。

さらに言えば、武公のように高い地位にいる人物が、周りの話に耳を傾け、自分を改めていく様をいっているといえましょう。

現代では部下を呼び寄せて「加藤君と田中君で切磋琢磨してやってくれよ」といっている社長の姿が目に浮かびますが、武公を見習えば「私ももっと会社をよくしていきたいから、何か改めることがないかな」といえるのが、真の切磋琢磨の姿なのでしょう。

唐の太宗・李世民は臣下の諫言を受け入れた

諫議大夫の魏徴

「貞観の治」と呼ばれるほどの善政を敷いた中国・唐の太宗・李世民は、本来の意味での切磋琢磨の実践者でした。
李世民は才能のある人材を多く採りたてましたが、その中でも魏徴は異色の存在でした。
魏徴はもともと李世民の政敵であった兄・李建成に仕えた人物でした。李世民が対立の果てに李建成を殺害すると、魏徴は李世民に使えることとなります。
もともと敵対していた勢力の人物が採用されるだけでも珍しいことですが、それだけでなく李世民は魏徴を諫議大夫という高い役職に就かせます。諫議大夫は皇帝のアドバイザーのような存在です。
魏徴は例え皇帝であっても直言する人物であり、李世民に対して200回近く諫めの言葉を発したとされています。

人という鏡

李世民の魏徴に対する気持ちは歴史書『資治通鑑』に残されています。
李世民は魏徴が死んだ際に以下のような言葉を残したとされています。

人以銅為鏡、可以正衣冠。以古為鏡、可以見興替。以人為鏡、可以知得失。魏徴沒、朕亡一鏡矣

―『資治通鑑』巻一九六

口語訳にすれば、「人は銅の鏡を使えば、自分の身なりを正すことができる。過去の出来事を鏡とすれば、物事の盛衰を知ることができる。人を鏡とすれば、成功と失敗を知ることができる。魏徴が死んで、私は一つの鏡を失った。」という意味になります。
李世民は魏徴の諫言から物事の損得・成功と失敗を知っていたということですが、この部下の忠告に耳をかす姿勢こそが貞観の治の真髄であったと言えましょう。