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戦国大名から学ぶ読書の大切さ

本・歴史の話のアイキャッチ

優秀な経営者には読書家が多いと言われていますが、これは領地や家臣をマネジメントした戦国大名も同じだったようです。
今回は戦国大名から読書について学んでいきましょう。

北条早雲と読書

早雲の不思議な生い立ち

北条早雲の生い立ちについては素浪人だったとも、室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏を出自とするとも言われています。
「北条早雲」の名前で知られていますが、伊勢新九郎盛時が正式な名前のようですが、これもはっきりとはしないようです。
「早雲」の名は出家したのちに「早雲庵宗瑞」と名乗ったことに由来していますが、「北条」の姓は嫡男であり2代目の北条氏綱が使い始めたとされています。

小田原城を手に入れた戦国大名の先駆け

こうした不思議な生い立ちをもつ早雲ですが、最大の業績は後の北条家の拠り所となった小田原城を手に入れたことでしょう。
鹿狩りといつわって夜襲をかけ、一気に小田原城を奪取したエピソードで有名です。
力によって身を建てる戦国大名の先駆けとされる逸話です。

早雲の教訓

早雲は後に続く子孫に向けて、二十一か条の教訓を残しています。
その第12条目にこのようなことが書かれています。

少しの間でも、書物や文字の書かれているものを懐に入れておき、つねに人目を忍んで読むこと。
(岡谷繁実原著、北大路健・中澤恵子訳『名将言行録 現代語訳』講談社学術文庫、2013年、57頁。)

どんな時でも読書ができるように本をもっておき、隙間時間でもこっそり勉強しておきなさいというところでしょうか。
早雲は「人は、人目にそれとあらわに知れぬ、隠れたところでの努力ということが大切なのだ(同『名将言行録 現代語訳』、55頁)」とも言っており、陰でこっそり勉強することが大切なのだといいたかったのでしょう。

伊達政宗と読書

やんちゃなエピソードの中に垣間見れる影の努力

伊達政宗は現在の仙台の繁栄の礎を築いた戦国大名です。
政宗と言えば、秀吉の不興を買った際に十字架を持参して謝罪したり、朝鮮出兵の際の伊達軍の出で立ちが「伊達者」の由来となったりと、ド派手で破天荒なエピソードに事欠きません。
そんな伊達政宗ですが、名将言行録ではこのような政宗の姿を紹介しています。

政宗は、年少のときから老境にいたるまで横臥することなく、柱に寄りかかって仮眠することがあった。しかし片時もむだにすることはなく、つねに手から書物を放すことはなかった。
(『名将言行録 現代語訳』、324頁。)

大河ドラマ「独眼竜政宗」でも師である虎哉宗乙から「人に寝姿を見せるな」と怒られるシーンがありますが、政宗は人に横になっている姿を見せたことがなく、仮眠するときも柱を背にしていたようです。
さらにその仮眠中の手には常に本があったということで、日ごろから政宗が読書に励んでいたことがわかるエピソードです。

読書家なところも曹操に似ている

作家の司馬遼太郎は政宗を中国・三国時代の曹操に並ぶと評していましたが、曹操もまた大変な読書家でした。
曹操は昼は兵法書、夜は物語を読み、果ては孫子の兵法に脚注を入れています。敵方の呉の孫権であっても家臣に対して「曹操を見習え」と言って読書を勧めたとされていますが、読書家な一面も政宗と曹操は似ていたと言えるでしょう。

徳川家康と読書

徳川家康の業績

徳川家康が何をしたかについて多くを語る必要はないでしょう。家の没落により今川家・織田家の人質になるという幼少期を経て、今川家から独立、織田・豊臣時代を生き抜き、関ヶ原・大坂の陣での勝利をもって天下人となりました。

読書家・徳川家康

家康は大変な読書家であり、さらに周囲にも読書を勧めました。ここで少し家康の言葉に耳を傾けてみましょう。

人倫の道が明らかでないと、おのずから世も乱れ、国も治まらずして、騒乱のやむときがない。この道理を悟り知ろうとすれば、本を読むほかはない。本を刊行して世に伝えるのは仁政の第一である
(『名将言行録 現代語訳』、714頁。)

人倫とは人間の秩序関係のことですが、秩序を理解するには本を読むしかないと家康は述べています。そのため、本を刊行して、世に広めることが仁政、つまり民衆にやさしい政治であるというのが家康の持論です。
また、家康はこのようなことも言っています。

若い者どもに習わせたいのは四書五経だ。少しずつでも聞かせたいことである。義理を知れば、死を軽く思うようになろう。仏法を好んで悟った風をしただけではやすらかに死ぬことはできそうにない
(『名将言行録 現代語訳』、715頁。)

四書五経とは儒教の本の中で特に重要とされる四書と五経の総称であり、四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、五経としては「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」が挙げられます。
家康は仏教だけに傾倒して、念仏を唱えるだけでは死への恐れは消えず、四書五経から「人生とは何か」「何をすべきなのか」を学ぶことで、死への恐れが和らぐのだと言いたかったのでしょう。
「何のために生きているのか」に悩むサラリーマンが多い現代でも、この家康のアイデアは有効であると言えるでしょう。