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明治時代に出現した政商とは何か?財閥との違いを解説

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今回は政商について解説していきます。現在まで続く三菱グループの祖・岩崎弥太郎や今日でもビジネスリーダーとして人気のある渋沢栄一が政商と呼ばれています。

「政商」という言葉の誕生

現在でも政治家とべったりな会社を「政商」と言ったりしますが、この言葉は明治時代に出現した特定の商人や資本家のことを指しています。
日本史を勉強するときにお世話になる全国歴史教育研究協議会編『日本史B用語集―A併記』では政商を「政府と結託して新事業を開拓し、独占的に利益を上げた特権的資本家」と紹介しています。
もともと「政商」という言葉はジャーナリストの山路愛山が『現代金権史』において用いた言葉です。
山路愛山自身は政商を「明治の初期にその時代が作りたる、特別の時節に出来たる、特別の階級」と定義しています。

政商のグループ分け

まずは政商の具体的なイメージをつかんでいきましょう。
楫西光速の『政商』(筑摩書房,1958)を始め、政商に関する書物の多くは彼らを3つのグループに分類しています。
今回もそのグループ分けを踏襲して、政商を紹介していきます。

グループ1:旧幕時代からの特権商人

第1のグループとして、旧幕時代からの特権商人で、維新後も発展した者(三井・住友・鴻池)が挙げられます。一般的なイメージ、つまり政府との癒着を思い起こさせるものとして、次に見る第2のグループは典型的な政商として定説化しているように思えます。
しかし、政府に最も近い存在であったのはこの第1グループでした。
三井家の三野村利左衛門は、当時幕府の勘定方であった小栗忠順とのつながりにより三井家の危機を救い、さらに明治維新の際には小栗との関係を深める一方で勤皇派とも接触しました。
そして三野村はいち早く新政府を支持することにより、現在の三井住友銀行につながる銀行を設立し、三井中興の祖となりました。

グループ2:低い身分ながらも動乱の中で身を立てた者

岩崎弥太郎の画像

岩崎弥太郎の写真。画像はWikipediaより。

第2のグループは低い身分ながらも動乱の中で身を立てた者(岩崎・川崎・藤田・大倉・古河・安田・浅野)が挙げられます。
岩崎弥太郎は地下浪人という低い身分でありながら、土佐藩主・山内容堂の股肱の臣である吉田東洋に用いられました。
東洋の甥である後藤象二郎とも関係を深め、その才を認められた弥太郎は、土佐の官営事業「開成館」を任され、後にこれを三菱商会とします。
1874年の台湾出兵の際、積極的に政府に協力した弥太郎は大久保利通・大隈重信の信頼を得て、三菱を大いに発展させることに成功しました。

ここまでの経緯を見ると政府にべったりして暴利を貪っていたという印象を受けますが、そのイメージとは裏腹に弥太郎は必要以上に政府と近付くことはしませんでした。
弥太郎は西南戦争で得た利益をもって、無料で貸しつけられていた船舶の代価を全額支払い、過度に政府に恩を借りるような形をつくりませんでした。
第2グループの政商はあくまでビジネスチャンスとして政府を利用し、政府の影響が強くなることを良しとしなかったと言えましょう。

グループ3:明治政府の官僚から転じ、政商の役割を演じた者

渋沢栄一と五代友厚の画像

渋沢栄一(左)と五代友厚(右)。写真はWikipediaより。

最後に、第3グループとして、明治政府の官僚から転じ、政商の役割を演じた者(渋沢・五代)が挙げられます。
第1・第2グループの政商像とは異なり、彼らは企業者間のオルガナイザーとしての役割を担っていました。
渋沢栄一は「政商」と呼ぶには政府からの恩恵をあずかることは少なかったのですが、一方で五代友厚は渋沢とは異なり政府に近付き、官業物払下げ問題の当事者となりました。
東の渋沢、西の五代と言われた明治きってのビジネスリーダーでしたが、実際の行動は対照的だったと言えます。

甘くない政商の実情

以上、政商の3つのグループについてみてきました。
第1グループ・第2グループともに政府からビジネスチャンスを得て発展してきましたが、政府の後ろ盾がなくなると危機に陥ることが少なくありませんでした。
例えば岩崎弥太郎は大久保利通や大隈重信の信頼を得て海運業で高いシェアを得ますが、大久保が暗殺され、大隈重信が失脚すると、岩崎の一人勝ちを許さない反対勢力が海運業をはじめ、経営の危機を迎えたこともあります。
このように、政商は政府と結託することにより利益ばかりを享受していたわけではありませんでした。

さらに、第2グループの政商たちは政府から官営事業や特権を得たとされていますが、官業払下げが0からの企業よりもコストが安くつくとはいえ、移譲には政商側のある程度の金額を必要としました。
また、その人物の経営手腕が無視されていたとは考え難く、甘い話のように見える官業払下げの裏には政府のモニタリングが働いていた可能性に十分留意しなければならないでしょう。

なぜ政商は登場したのか?

ビジネスチャンス その1:政府の周りの商機

これまで見てきたような政商はなぜ登場したのでしょうか?それは当時の政府の周りにビジネスチャンスが多く存在したからに他なりません。
江戸時代が終わったばかりの明治初期には銀行もなく、潤沢な資金を有する者は少なく、資本市場も未発達でありました。

安田善次郎の画像

安田善次郎の写真。写真はWikipediaより。

一方明治政府には租税による資金が流れ、殖産興業政策に乗り出しますが、この政府が租税を集める手段を担った政商もいます。
例えば現在の明治安田生命の祖である安田善次郎は納税の手伝いをする代わりに、地方の納税者から集めたお金を政府に納入するまでの時間を利用し、このお金を運用することで財を成しました。
政府の手の届かない仕事を担うことで、上手く利益をあげられた企業家だったと言えましょう。

ビジネスチャンス その2:官業払下げ

殖産興業政策から生じた産業育成や「官業払下げ」なども政府と商人を結びつける要因となりました。
国内の産業を育成するため、政府は紡績業や海運業に乗り出しますが、もともとビジネスマンではない人たちが始めた事業はなかなか上手くいくものではありませんでした。
「産業は育成したいけど上手く経営ができない」という明治政府の悩みと上手く利害が一致したのが、繰り返し登場する岩崎弥太郎などの政商で、彼らは官業払下げを受け、その事業を成長させることによって利益を得ました。

ビジネスチャンス その3:多くの情報が役人に遍在

政策・法令・制度の変更がまかないに大きな影響を及ぼすため、政治家や役人と接触して得られる情報の利益は大でありました。
こうした情報によって利益を得て、得た情報を広めようとしたのが渋沢栄一や五代友厚などの明治時代のビジネスリーダーです。

外国人排除政策の影響

明治時代の日本の方針は外国の技術を取り入れながらも、外国資本はできるだけ排除し、外国人の支配を受けないことにありました。
しかし様々な制約の中での日本人による資本主義発展は政府と特定の業者との密接な協力が必要でした。
さらに政府のパートナーとしての条件を満たすものは限られているゆえに、政商という特別な存在が生まれました。

「政商」の共通点・相違点

これまで見てきた「政商」たちはみな一癖も二癖もあり、伝記を読んでいても面白いものです。
政府との癒着を連想させる「政商」と呼ばれながらも、彼らの生きざまはまさにベンチャースピリットの走りです。
そんな企業家魂を見せる彼らには、何か共通点はあるのでしょうか。

「政商」の出自

「政商」と呼ばれる人物たちは、もともと商業に携わっていたか、商業の盛んな地域の出身であることがほとんどです。
出自が武士である政商も少なくないですが、かといって軒並み高い身分というわけでもありません
例えば三菱の創業者・岩崎弥太郎が挙げられます。岩崎家は六代目弥次右衛門が武士の身分である郷士職を他に譲ってしまったため、村役人である庄屋よりも低くみられる地下浪人となってしまいました。
その後弥太郎は土佐藩で頭角を現し、現在まで続く三菱グループの礎を作ったのですが、元武士とはいえ、高い身分であったとはいえません。

マージナルマンという側面

このように、政商という存在も武士と町人の境から生じた「限界領域の人」、つまり「マージナルマン」だと言えます。「マージナルマン」とは、R・E・パークの定義に沿うと「決して完全には浸透しあわず、また融合もしない二つの文化や二つの社会のマージンに位置する人間」である。

家道の傾きと教育

「マージナルマン」というくくりの他に、家道の衰退と末法思想は政商の面々に見られる共通点です。
家道とは家を治める、暮らしを立てることを意味します。上述の岩崎弥太郎の例のように、政商たちの家道は例外なく傾いています。

政商の多くが家の没落を経験するという共通した経験を持つ中で、政商たちが受けた教育は千差万別でした。

大阪財界の重鎮となった藤田伝三郎の父親は厳格な人物であったことが伝えられていますが、川崎重工などの創業者・川崎正蔵は早くに父親を亡くしています。また、三井物産などで知られる三井家の三井高利の母親は三井家を興したと言われるほどの女丈夫ですが、岩崎弥太郎川崎正蔵は母親らしい母親であったと自らの親を回顧しています。
このように、政商たちは家の危機を迎えるという共通の体験をしたものの、教育については政商を生み出したと言えるような共通点は見られません。

政商の信仰心は高くない

では宗教になにか政商を生む土壌があったのでしょうか。
この答えは渋沢栄一の「私は家が良かったせいか、あまり宗教心はない」という言葉に集約されていると思われます。
政商たちは比較的信仰心が薄く、その中から共通点を見出すとすれば、政商たちの宗教は末法思想を反映した浄土宗・浄土真宗・曹洞宗が多いようです。

政商は財閥の前段階か

政商は後の財閥への前段階というイメージがあります。
しかし現実には政府権力の効力が永続的でないため、政商と呼ばれるものがすべて財閥にはなるわけではありませんでした。
三井・三菱はのちに戦略転換をし、財閥化していった。渋沢のように財閥にならなかった者もいます。
政商から財閥となったケースは少なくないですが、「政商から財閥へ」という段階的なものではなかったと言えましょう。

参考文献

  • 森川英正『財閥の経営史的研究』東洋経済新報社、1980年
  • 小林正彬『政商の誕生』東洋経済新報社、1987年
  • 宮本又郎・阿部武司・宇田川勝・沢井実・橘川武雄『日本経営史―江戸時代から21世紀へ』有斐閣、1995年
  • 宮本又郎『日本の近代11 企業家たちの挑戦』中央公論新書、1999年
  • 宇田川勝編『日本の企業化活動』有斐閣、1999年