忠臣と良臣の違いは何か? ブラック企業は忠臣を求め、成長企業は良臣を求めて成長する

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忠臣と良臣の違いは?

歴史小説などを呼んでいると、「○○は忠臣だ」「△△は当代の良臣だった」という表現がなされることがあります。

この「忠臣」と「良臣」の違いとは何なのでしょうか?

なんとなく違いはありそうですが、それを明確に答えることができず、ムズムズする言葉です。

コトバンクに掲載されている辞書では、忠臣と良臣を以下のように表現しています。

  • 忠臣:忠義な家来。忠義な臣下。1)忠臣(チュウシン)とは – コトバンク
  • 良臣:よい臣下。忠義な家来。2)良臣(りょうしん)とは – コトバンク

このように、辞書においてもそこまで十分に説明しておらず、どちらとも忠義な臣下や家来を表しているようにも感じ、両者に違いは内容に見えます。

今回はこの忠臣と良臣の違いを、『貞観政要』の一節から考えていきます。

『貞観政要』に学ぶ忠臣と良臣の違い

魏徴が説く良臣と忠臣

唐の太宗(李世民)に仕えた魏徴は忠臣と良臣の違いをこのように説明しています。

良臣は身をして美名をえしめ、君をして顕号を受けしめ、子孫世に伝え、福禄、かぎりなし。
忠臣は、身、誅夷を受け、君は大悪に陥り、家国ならびにほろび、独りその名あり3)呉兢(著)、 守屋洋 (訳)『貞観政要』ちくま学芸文庫、2015年、87頁

この意味を現代語訳すると、以下のようになります。

  • 良臣:自分の名声だけでなく、主君の名を上げ、その名を子々孫々に伝えて、限りない幸せを得た人。
  • 忠臣:自分が殺されるだけでなく、その主君が悪の道に陥ることにもつながり、自分の家だけでなく、国がほろぶ要因となり、ただその名前だけが残るような人。

魏徴は太宗にとっての、それこそ「良臣」であったわけですが、頭の切れる魏徴の説明はなんともわかりやすいものです。

「良臣」というのは、簡単に言えば、自分も活躍して評判がよく、次世代に残せるほどの富・名声を獲得したものです。

例えば、徳川家康に仕えた「徳川四天王」などは良臣の最たるもので、井伊直政や本多忠勝などは、今日でも人気の武将です。

そして、井伊や本多の存在は「彼らが主君とした徳川家康はさぞやすごい人だったのだろう」という印象を周りに与えます。これこそが良臣であり、自分の名声だけでなく、ひいてはそれを抱えていた主君の評判を上げることにも成功しています。

一方で、「忠臣」というのは、自分は主君や組織のために奮闘したものの、主君から疎まれて殺された人物を指します。そしてその死が組織の衰退につながり、「あの組織にはあんな立派な人がいたのに……」という風に語られるような存在です。

例えば、主君に殺されたわけではありませんが、大阪の陣で活躍した真田幸村は忠臣の例ではないでしょう。

講談中の真田幸村は、豊臣家の危機を聞きつけ大阪城に入城するものの、豊臣家の経営陣から協力を得られず、大坂の陣で徳川家康を追い詰めるものの、最後には討ち死にしてしまいます。大阪の陣は幸村一人の活躍で何とかなる戦ではなかったのかもしれませんが、幸村の死が豊臣家滅亡を決定づけます。そして現代に生きる我々は、「幸村みたいな忠臣がいたのに、豊臣家はなんだ」と幸村をしのぶ一方で、豊臣家のマネジメント力に疑問を感じることとなります。

このように、忠臣というものは、自身は殺され、家が繁栄することもなく、主君や主家の滅亡の要因になり、さらに「あんなに活躍した人がいたのに主はなにをしていたんだ」と、後世の人は思い返すものの、間接的に主君や主家の評判を貶めてしまっています。

以上のように、良臣というのは「かくありたい」と周りの人が思うような立身出世を遂げた人ですが、忠臣と言うのは後世の人が美談にするような人物であると言えます。

『貞観政要』とは何か?

この魏徴による良臣と忠臣の説明は、『貞観政要』という本に記されています。

『貞観政要』は中国唐代に呉兢が編纂したとされる、唐の太宗の言葉や振る舞いをまとめた記録です。

太宗は父である李淵とともに唐の建国に尽力した人物であり、第2代の皇帝となりました。

その治世は「貞観の治」と呼ばれ、世界史の教科書にも載っているため、この言葉だけでも聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。

このように、創業においても、その後の経営についても優れていた太宗の死後40年後にまとめられたのが『貞観政要』です。

近年、ライフネット生命の出口治明会長が『座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」』という本を出版したため、再び注目されている本です。

太宗に向けた魏徴の諫言

今回とりあげた、魏徴の忠臣と良臣の違いについての説明は、このような一幕から生まれたものでした。

ある日、太宗のともに、魏徴が自分の親族を優遇しているという告発を受けました。

太宗は側近にその事実を調べさせ、無実であることが判明したものの、側近から「無実であることはわかっていたものの、このような話が出ること自体が問題だ」と言われ、もっともだと思った太宗はその側近を通じ、魏徴の功績を振り返り、人柄をたたえながらも、「今後は人の疑惑を招かぬように、言動に注意してほしい」と伝えました。

後日別件で太宗に呼ばれた魏徴は、「何か朝廷の外でけしからんことはなかったか?」と問われた際に、「先日側近を通じて、『人の疑惑を招かぬように気を付けろ』というおことばをたまわったが、これが一番けしからんことだ」と回答しました。

魏徴はうわべだけとりつくろって「人の疑惑を招かないようにしろ」と言って、政治がうまくいったことはないと説明を加えます。

つまり、「疑われるようなことをするな」という話をして、表面上は上手くいっているように見せても、本当に主君と家臣で信頼関係が構築されていなければ政治はおぼつかないという話をしたかったのではないでしょうか。「疑われるようなことをするな」と言っている時点で、言った人間に疑念の心が芽生え始めることを、魏徴は指摘したのかもしれません。

聡明な太宗も、こんな言葉を伝えてしまったのを内心後悔しており、それを魏徴につかれ、反省の意を魏徴に伝えます。

その言葉を聞き、魏徴が言ったのが「陛下、私を良臣として生涯をまっとうさせ、忠臣にはさせないでください」という言葉です。

そして、「良臣と忠臣の違いは何か?」という太宗の問いに対して魏徴が答えたのが、上記の良臣と忠臣の違いです。

太宗の治世は7世紀前半のことで、それ以前の中国には、主君が家臣を疑い、国を亡ぼすことが数多くありました。

魏徴は良臣と忠臣の違いを説明することで、主君の猜疑心の芽を上手く摘み取ることに成功しました。

ブラック企業は忠臣を、成長企業は良臣を求める

このように魏徴は太宗に何百回もの諫言を呈し、主君を戒めるのに成功しています。

太宗も魏徴の言葉をよく聞き入れ、先ほどの良臣と忠臣の違いの話を聞いた後も、「お互いにこころして国政にあたろう」と言い、魏徴に褒美を渡しています。

そもそも魏徴は太宗の政敵であった兄弟に仕えた人物であり、そのような人物を登用し、重用することも珍しい話です。その上、その魏徴から数百回もの諫言、つまり忠告を受け、それを聞き入れたところに太宗の器の大きさを感じます。

このような度量と聡明さがあったからこそ、太宗は「貞観の治」と呼ばれる繁栄を築けたのだと言えます。

現代を考えると、ブラック企業は忠臣を求めて、成長している企業は良臣を求めているように感じます4)ここで「成長している企業」という表現を使い、ブラック企業と対のホワイト企業という言葉を使わなかったのは、ホワイト企業が福利厚生が充実している企業を指すことが多いため、良臣を求めて成長しようとしている像とは異なると感じたため。

ブラック企業の経営者は、会社の滅亡まで付き合ってくれるような人物を探し、「途中で退職した○○は根性なしだ!体を壊すまで、最後まで働いた△△こそ立派なビジネスマンだ!」と言ってはばかりません。

一方で、成長をしている企業、成長してきた企業と言うのは、良臣を求めています。というよりも、経営者と従業員がともに成長してきたからこそ、良臣と呼べる社員がでてくるのだとも思います。

例えば、「トヨタ生産方式」を体系化した大野耐一や鈴木喜久男はビジネスの歴史での良臣ではないでしょうか。

トヨタ自動車(以下、トヨタと略記)はその製品の人気もさることながら、「トヨタ生産方式」というマネジメントシステムでも一世を風靡しました。

大野耐一の写真
大野耐一の写真(Wikiより)

この「トヨタ生産方式」を考え出したのは、創業者一族ではない大野耐一鈴木喜久男という社員でした。

今日でも大野耐一は生産管理を担うビジネスマンから根強い人気のある人物です。大野のように、創業者でもなく、取締役にまで昇進したとはいえ社長でもない人物が、ここまで人気になるというのはなかなか例のない話です。

大野の活躍に憧憬を抱くとともに、その大野たちの意見を上手くくみ取った、トヨタの組織力に今日でも世界が注目しています。

大野耐一のように、自らも名声を得ながらも、所属組織の評判もあげることこそが、魏徴の言う「良臣」の姿であると言えるのではないでしょうか。

References   [ + ]

1. 忠臣(チュウシン)とは – コトバンク
2. 良臣(りょうしん)とは – コトバンク
3. 呉兢(著)、 守屋洋 (訳)『貞観政要』ちくま学芸文庫、2015年、87頁
4. ここで「成長している企業」という表現を使い、ブラック企業と対のホワイト企業という言葉を使わなかったのは、ホワイト企業が福利厚生が充実している企業を指すことが多いため、良臣を求めて成長しようとしている像とは異なると感じたため。